第1話 某月某日


某月某日

 子犬を拾った。
 俺は無類の動物好きで、愛護団体にも所属している、なんてことは無い。
 ・・・ただ、冷たい雨に打たれながらコンクリートの上で惨めに縮こまっているそいつの姿に、いつかの自分を見た気がした―――などというセンチな話も無い。あってたまるか。俺は普通の大学生だ。
 何故拾ったのか、と聞かれれば、そこにいたからとしか答えようが無い。ただの気まぐれ、というより、誰だって、目の前に死にかけている子犬がいれば拾って帰るだろう。ただそれだけのことである。
 それだけのこと、だったはずなのだが・・・


 朝、けたたましい目覚まし時計の音で目が覚めた。緩慢な動作でベルを止め、時計を見る。その針が指し示す時刻を見る限り、どうやらこの時計は、何度も俺にセットされた起床時間が来たことを告げていたようだ。しかし、俺はその度、無意識にベルを止めてしまっていたらしい。
 結果、遅刻寸前だった。
「・・・やべぇ」
 上がりきらないテンションで布団から這い出し、引き戸を開けて台所へ向かう。そして、蛇口を捻り、出てきた冷水を顔に浴びせる。どうにも、俺は朝に弱く、こうしないとまともに頭がはたらかない。
 何度か水を浴びるうちに段々目が覚めてきて、意識もはっきり・・・と、そこであることを思い出した。
「今日、休みじゃねえかよ・・・」
 ・・・・・・。
 やっちまった。
 たまにあるのだ。明日が休みだと気付かず、毎日の習慣で目覚ましをかけてしまうことが。
 どうしよう。休みの朝なんて得にすることも無い。暇だ。二度寝するか・・・?
「・・・あ、子犬」
 拾ったんだった、と、そこでようやく昨日のことを思い出した。
 昨日、拾った子犬は、本当に息も絶え絶えといった様子だった。全身ずぶ濡れで、体が完全に冷え切ってしまっていたのだ。センチな話は無くとも、雨は実際に降っていたのである。俺はそいつを抱えてすぐにアパートに帰り、タオルで適当に雨水をふき取り、毛布にくるんでストーブの前に寝かせておいた。それが俺のできる最大の処置だった。その後、すでに夜も遅かったので俺も布団に入り、現在に至る。
 子犬は相当冷えていたし、俺の応急処置なので、体が温まるのに時間がかかったのではないだろうか。まだ回復しきっていないかもしれないし、体調を崩しているかもしれない。このあたりに獣医なんてあっただろうか。そういえば、ここペット禁止だったっけか。
 先のいろいろなことを考えながら、引き戸をガラリと開けて、そこで俺は停止した。無意識に止まってしまったというか、誰かに一時停止をかけられたような感覚だった。
 目の前にあるのは、見知らぬ風景というわけでもなく、使い慣れた俺の部屋。ただ、あからさまに違和感を放っているモノが、そこにはあった。
 俺の部屋。和室の四畳半。部屋の真ん中辺りにちゃぶ台と、その横にさっきまで寝ていた布団が敷いてあり、壁際に小さな箪笥が一つ。布団の足の側には小型の電気ストーブが置いてあり、その前には昨日子犬をくるんだ毛布―――その毛布が問題だった。
 大きすぎるのだ、ふくらみが。明らかに子犬のサイズではない。ちょうど、人が一人入っている位の、
「・・・・・・うにゅぅ」
 突然、気の抜けたような声とともに毛布が転がり、滑り落ちた。
 中に居たのは、一人の少女だった。緑色のセーラー服に黒のニーソックス。長い髪は腰の辺りまであり、癖が強いのかあちこちはねている。奇妙なことに、その毛色は自然な黄色。そして更に奇妙なことに、頭には獣のような耳、腰の辺りからはふさふさとした尻尾が生えていた。
「・・・・・・」
 絶句。人間、本当に驚いたときは声すら上げられないようだ。
「うにゅ・・・む?」
 獣耳少女が、呻いて半分ほど目を開けた。同時に、俺はカラリと戸を閉め、左側の壁に背中を預ける。
「・・・落ち着け。冷静になれ、自分。俺が拾ってきたのは何だ?子犬だろ?獣耳少女じゃない、断じてない。寝ぼけてただけだ、きっとそうだ・・・」
 念仏のように自己暗示を唱える。当たり前だ。あんなもん、夢じゃないわけが無い。・・・よし。
 意を決して、再び戸を開けた。すると、さっきの少女の姿は何処にも見当たらなかった。
「ふぅ、何もいな―――いぐぁっ!?」
 安心したのも束の間、いきなり頭上から頭を掴まれて捻り倒された。仰向けに倒れ、反射的に目を瞑っているうちに胸の上に何かがのしかかってきた。打ちつけた後頭部や背中の痛みに耐えながら目を開けると、そこにはあの少女がいた。眠たそうに半分ほど閉じた目(俗に言うジト目)でこちらを見ている。
「・・・はは、マジか」
 最早笑うしかない。うむ、こいつがあの子犬だとすれば、さっきの体調云々の心配は杞憂だったわけだ。今もこんなに元気に俺に銃口を突きつけて
「って銃口ぉ!?」
 いつの間に取り出したのか、気が付けば俺の額には、見るからにヤバそうな重圧を放つ拳銃が突きつけられていた。ああ、確実にモデルガンじゃねえよ、コレ・・・。
「お、おい、何で俺がいきなり命の危機にさらされているのか全くわからんのだが!?」
 半ば叫びつつ、俺は必死で少女に状況の説明を求めた。が、ことごとくスルー。代わりにこんな言葉が返ってきた。
「狐です」
「・・・は?」
「私は狐です。あんな畜生どもと一緒にしないでください」
 ・・・ああ、犬じゃなかったのか。そりゃすまん。
 
 勿論、そんな軽い返事を返せる余裕がある筈も無い。全力で謝ったら、少女はすんなりと銃をしまって退いてくれた。


 以上が、俺と犬・・・もとい、狐少女、サキツネとの邂逅の一部始終である。








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