全速力。 妖怪狐の私が言うところのそれは、説明するのもめんどくさいような不思議パワーやら何やらを存分に使ったものであるわけで、つまりそれは人の出せる速度の域などとうに超えている。 分かり易く言えば、乗用車と一緒に公道を走れない位の速度だ。相手が人間であれば、ものの数秒で遥か彼方に置き去りである。 しかし。 先ほどからその全速力を出し続けているにも拘らず、背後から感じられる痛いほどの殺気は、一向に薄れる気配が無かった。 走りながら、首だけを捻って後ろを見る。殺気の主である茶髪の少女は、平然と私の後ろについてきていた。 その表情に一切の疲労は見られず、呼吸が乱れるどころか汗の一つすら掻いていなかった。 「……ッ!?」 そこに居るのは分かっていても、実際に確認するとその異常さがひしひしと伝わってきた。 見た目高校生くらいの人間の少女が、人外の全速力に並ぶ速度で追ってくる。状況を整理して言葉にすると、その異常性はいっそう増した。 言い知れぬ不安が、私の中を駆け巡る。 この異常な状況から抜け出そうと、私は更に速度を上げた。 〜〜〜〜 川を越え、ビルを駆け上がり、屋根を飛び移り…… どのくらい走ったのだろうか。気が付けば、町を幾つか越えてしまっていた。既にあの少女の気配は消えている。 走り始めてから数時間は経っているような気がする。 実際は数十分程なのだろうが、そんな錯覚が起きるほどに疲労感が凄まじかった。 気が動転していた所為で、妖力の加減を間違えたか……まあ、奴をまいたのだからもう問題ないだろう。 奴は…あの少女は一体何だったのだろう。 気配は間違いなく人のそれだった。 人に化けた人外でもない。 ヴァンパイアハンター的な?……なんかもう妖怪よりも信じられてなさそうな気もするけど、それにしたってあの動きは異常――― 彼女について様々な考えを巡らせながら歩いていた私は、完全に弛緩してしまっていた。 それは、追っ手から逃れたことよりも、得体の知れない不安から逃れられたことから来た物だった。 人間であるはずなのに、まるで人外のような動きを見せる彼女という不安から。 そして、その気の緩みが、私の反応を遅らせた。 私の目の前に突然何かが飛び込んできた。 黒くて丸い、拳ほどの大きさのそれは、私の視界の端で緩やかな放物線を描く。 (鴉…?いや―――) 正体不明のものを、うっかり日常の何かと重ねてしまい、それが更に一瞬の判断を鈍らせた。 生物ではない、黒く無機質なそれは、 (グレネード…ッ!?) 息を呑むまもなく、目の前の手榴弾が盛大に爆ぜた。 咄嗟に腕を盾にし、後ろに飛び退いたものの、遅い。飛び散った破片が幾つも直撃し、服と皮膚を切り裂いて突き刺さる。 閃光手榴弾で無かったことが幸いではあった。今のタイミングでは、完全に目と耳をやられていた。 「一体何処から…!」 そのまま数メートルほど後退して、ブロック塀を背に気配を探る。 しかし、腕の痛みが邪魔をして、なかなかうまくいかない。耐えられない程の痛みではないが、集中力がどうしても鈍ってしまう。 「平和ボケですかね…。まぁ、久しく紛争地なんて行っていませんし」 ぼやきながら、何とか落ち着いてきた時だった。 殺気は突然現れた。 「ッ!後ろ!?」 私が背を向けていた、ブロック塀の後ろから。 私が横へ飛ぶと同時、ガガガガガッ!と轟音が響き、一瞬前まで背中を預けていたブロック塀に無数の風穴が開いて崩れ去る。 砂埃の中、塀の向こう側から現れたのは、やはりあの少女だった。 先ほどまでとは違い、緑のバイザーのゴーグルを着け、コートの前を開けていた。中はタンクトップ。 そして、コートの裏には大量の拳銃とナイフが納められていた。 さらに、革製のグローブを嵌めた両手には、S&WM500が一丁ずつ。 「……本当、人間じゃないですね」 「いえいえ〜、ただのしがない女子高生ですよ?」 独り言のつもりだったのだが、意外にも答えが返ってきた。 「一般女子高生はいつから両手に世界最強なんて持つようになったんですか」 「これは私のキャラです」 「物騒なキャラもいたもんですね!」 その言葉を言い終わるとともに、私は少女に向かって駆け出した。 ワンテンポ遅れて二丁のM500が火を噴く。しかし、既に私は彼女の懐に入り込んでいた。 「血の気が多いキャラは何処かの姉だけで十分です」 そう言いつつ、私は両手に炎をともし、相手のリボルバーに当てた。 ガゥン!と一際大きな爆音が響く。これでもう使い物にならないだろう。 「チィッ」 少女が舌打ちをする。 そのまま腹に一発決めて、意識を飛ばそうとしたのだが、彼女も反応が早かった。 爆発の前に素早くM500を棄て、前傾姿勢になっている私の肩を蹴る形で後ろに跳んだ。 私は伸ばしかかった腕を戻して、相手の出方を見ると同時、どうにか逃げられないかと隙を窺った。 が、少女が着地と同時にこちらに跳んできて、逃走計画は霧散した。 「無駄ですよ?逃げたってまた追いかけ回されるだけなんですから」 少女は空中でナイフを二本抜き放ち、舞うように振り回す。 後ろに下がってかわしたが、服の左肩辺りを裂かれた。 彼女が取り出したのは、最早ナイフと呼んでよいのかも分からないほどの大物、グリフィン×2。 「いちいち武器が凶悪過ぎるっ!」 「私的にはスタンダードです」 どんな基準だ。 こちらもナイフで応じるが、私のはごく一般的なサバイバルナイフ。性能差は歴然だった。 ギュイン、ギャリンとナイフが擦れる。 (このままじゃ……押し負けるッ!) 直後、サバイバルナイフは呆気なく弾き飛ばされた。 だが、私は次の攻撃が来る前に後ろに跳ぶ。後方宙返りを決めながら、相手のグリフィンが空を切るのを見た。 (今なら…!) この隙を逃すまいと、空中でベレッタを取り出し、構え、引き金を引いた。 タン、タァン、と銃声を響かせ、9mm弾が発射される。 (狙いは甘くとも、当たれば動きを止められる!) しかし、私の狙いは甘いどころか、思い切り当てが外れていた。 照準の話ではなく、拳銃一丁で彼女を止めるという考え自体が、既に大きくずれていたのだと思い知らされる。 ガン、ギン、と金属音が鳴り響く。 目の前で起こった出来事に、私は呆気にとられた。 まず、その事象を受け入れることが出来なかった。 放たれた弾丸に対し、彼女がとった行動は、ナイフを棄てることだった。 それは、ただ単に武器を放棄したわけではない。 放り投げられた二本のナイフは、二発の銃弾の弾道に止まり、その質量を持ってして銃弾を弾き返した。 高速で飛ぶ弾丸を、放たれてから避けることなど不可能。しかも、彼女は銃口すら見えていなかった。 既に、本能や直感など、第六感の領域での防御行動だった。 そして、彼女の手には既に新たな武器が納まっている。 その武器が、更にこの光景を異常なものにしていた。 彼女が構えているのは、これもまた超弩級の大物。 私は、未だ空中にいる。 「チェックメイト、ですね」 彼女は、心底愉しそうに、笑った。 笑い声、爆音、そして、 私の左足が根元から引き千切られた。 |