第19話 針と糸


 コンビニで飲み物を買って、家に戻る。執筆途中の息抜きは大事だ。仕事とはいえ、引きこもっているのも身体によくない。しがない作家家業、健康第一である。
 そんな事を考えながら玄関のドアを開け。
 俺は動きを止めた。
「おっす」
 サキツネがいた。
 ただし、パーツ単位で……。頭と胴体、右腕、左足、右足。左腕だけは胴体と繋がっているようだった。胸の上に乗っかった頭が、黄色い目で普通に俺を見ている。どういう原理か左腕を上げていた。
「お前、何があったんだ? ばらばらになっているように見えるけど」
 驚きながらも俺は冷静に尋ねる。状態が無茶苦茶すぎて、なんか逆に醒めてしまう。
 ばらばらのサキツネだが、不思議とグロさは無い。切断面以外は普通で、血も出てないからだろう。壊れたマネキンっぽい無機質さがある。いや、マネキンは喋らないけど……。こいつは人間じゃないから平気なんだろう。
 サキツネはため息をついてから、左手で頭を撫でた。
「先日怖いお姉さんに襲われまして。いやはや食い物の恨みは本当に恐ろしい」
「盗み食いでもしたのか?」
「………」
 狐耳を伏せ、無言で目を逸らす。図星かよ。
 とりあえず、話を進めよう。
「それが、何で俺の所に? 普通は医者に行かないか?」
 モノノケの常識ってのは俺もよく知らないけど、怪我をしたら病院に行くのは人間と変わらないだろう。何で俺の所に来たのか分からん。そもそも、この状態でどうやって移動しているのかも分からん。
 深く考えてはいけないのかもしれない。
「注射が嫌い。……なので針と糸を貸して下さい」
「……縫って治るもんなのか?」
 傷口の縫合っていうけど、傷口縫ったからって出血止まるわけじゃないし、切れた組織が繋がるわけじゃないからね。縫い合わせてとりあえずOKってわけじゃないからね。ジョジョとかジョジョとか。
「おそらく」
 サキツネが頷く。手で頭を持って、傾けた。


 仕事部屋から裁縫箱を持って戻ってくると、サキツネが左手で頭を持ち上げ、くるくる回していた。暇潰しらしい。そこはかとなく楽しそうだけど、俺には無理だな。
「持ってきたぞ」
「どうも」
 声をかけると、頭を胸に置いた。古い時代のロボットマンガみたいな乗りだな。
 俺はサキツネの横にしゃがみ、縫い針とミシン糸、糸通しと糸切り鋏を取り出した。ただ、これはあくまで布を縫い合わせる道具で、身体を縫い合わせる道具ではない事を重ねて主張する。
「うーん」
 取り出した針と糸を眺めてから、サキツネがわきわきと左手を動かす。どうやら右手を動かしたいらしい。ちらりと右腕を見るけど、指は動かず。まあ、繋がってないから動かないのは当たり前。どうして頭と胴体が連動しているのかは謎だ。
「お手数ですが、針に糸通して下さい」
 ぽりぽりと指で頬を掻き、サキツネが言ってくる。
「お、おう……」
 言われた通りに、俺は針の穴に糸を通した。針の穴に糸通しの細い針金を通してから、ミシン糸を通して、糸通しを引っ張る。それで完了。
 糸の通った針を差し出すと、サキツネは左手でそれを受け取った。
「あと、ちょっと右腕の固定をお願いします」
「う……うん」
 頷きながらも、かなり躊躇する。
 俺はこわごわと右腕に触れて、それを持ち上げた。女の子の右腕。大体三キロくらいだろうか。それを重いと見るか軽いと見るか、正直よく分からん。ロボットのパーツのように根元から切れている右腕。
 左手でセーラー服の袖をめくるサキツネ。
 ハムの断面のような切断面をくっつけ合わせる。
「もう少し右に」
 言われた通り少し右に回すと、軽い手応えがあった。ふたつのパーツが組み合わさったような感触。――サキツネってロボットとかじゃないよね? ないよね?
「そのまま固定していて下さい」 
 そう言ってから、サキツネは糸を通した針で腕の継ぎ目を縫い始めた。皮膚に針を突き立て、断面を通し、針の先端を外に出す。そして、針を引っ張り傷口に糸を通す。
「意外と痛い……」
 そりゃそうだろ……。
 ちくちくと糸で腕を縫っていく。手術の縫合のように丁寧にというわけでもない。ただ適当に針を動かしているようにしか見えないけど、大丈夫なんだろうか? いや、大丈夫というか、普通はこんなんで治るわけがない。骨とか血管とか神経とか筋肉とか、色々複雑な体組織があるんだぞ。
 俺の心の叫びを余所に。
 糸が腕を一周した。入り口と針の糸を適当に結んでから、手を放し、サキツネは糸切りばさみで糸を切った。床に落ちる針。
 そして、今まで根元から分かれていたはずの右腕を持ち上げ、手の平を開いて握り締める。ついでに左右に捻っていた。腕はきっちりと繋がっていた。
「右腕縫合完了」
「嘘だッ!」
 思わず叫ぶ。
 うるさそうに顔をしかめてサキツネが俺を見てくる。
「いや、だって……糸で皮膚縫い合わせただけだろ? 俺は医者じゃないけど、人体の構造はある程度知ってるぞ。というか、適当に縫っただけなのに、何でもう骨までしっかり繋がったみたいに動くんだ? 色々おかしいだろ。あれ、やっぱり人間じゃないから? 妖怪だから、モノノケだから?」
 混乱する俺を無視して、サキツネは糸通しを使って針に糸を通していた。
 それから、左足の切断面を合わせて針と糸で縫い合わせていく。腕と同じように太股を一周してから、糸を結び合わせ、糸切り鋏で斬った。
「左足縫合完了」
 繋がった左足が動くのを確認してから、続けて右足を縫い始める。
「右足縫合完了」
 右足も同様に繋ぎ終わった。
 両手両足がくっつき、サキツネはその場に身体を起こした。
「おおぅ」
 胸に乗っかっていた生首が床に転がる。
 感覚が繋がっているのか、尻尾が跳ねた。慌てて身体を動かし、右腕で髪の毛を掴む。そのまま頭を持ち上げて、首の上に乗っけた。両手で頭を掴んで左右に動かしながら、神妙な顔付きで切断面を合わせている。
 こういうのを、シュールレアレズムって言うのだろうか?
 多分違う。
 切断面が合ったら、右腕や両足のように首を糸で縫い合わせていく。
「どういう仕組みなんだろう?」
 首を捻るが答えは出ない。出るわけがない。俺はただサキツネの治療を眺めるだけだった。あー……もうツッコミ入れちゃいけないんだろうな、これ。
 首も縫い終わり、糸を切る。
「首縫合完了」
 満足げに頷くサキツネ。
 それで腕や脚同様に、首も繋がったようだった。右手で首筋を撫でながら、具合を確かめるように首を左右に動かしている。どういう原理で繋がったのか不明だが、とにかく骨や神経や筋肉まで繋がったようだ。
「五体満足というのは素晴らしい」
 しみじみと呟いてから、サキツネはその場に立ち上がった。
 つい数分前までバラバラだったのに、元に戻っている。首と両太股に縫い目が見えるけど、それだけだった。俺の中で何か大切な常識が壊れた気がする。
 サキツネはテーブルの上に置いてあったアップルジュースを手に取った。500ml入りのペットボトル。尻尾を動かしながら、蓋を開ける。
「それ、俺のジュース」
「お気になさらず」
「お気にするって」
 俺の言葉も虚しく、サキツネはペットボトルの中身を口に流し込んだ。腰に右手を当てて雄々しく一気飲み。前々から思ってたけど、やたら美味そうに飲むなぁ、こいつは。ジュースでも醤油でも酢でも。
「む」
 動きを止めるサキツネ。
 首の縫い目からアップルジュースがしみ出してきた。どうやら、完全に繋がったというわけでもないらしい。滲んだジュースがセーラー服の襟を汚す前に、素早くテーブルの布巾で首を拭う。
 ジュースの浸み出しが無くなった事を確認してから、俺に顔を向ける。
「接着剤貸して下さい」
「流しの引き出しに入ってるぞ」
 流し台の引き出しの一番上を指差す俺。
 サキツネは引き出しを開けて、接着剤を取り出した。
「ふむ、ふむ」
 横の説明書きを読んでいる。
 いわゆる瞬間接着剤。大抵のものを数秒で接着できるのが売りだ。水分に反応する仕組みなので、うっかり自分の手とかを接着しちゃうと剥がすのが大変だ。
 サキツネは三角形の蓋を開けてから、接着液を首の縫い目に垂らしていく。糸で縫合の次は、接着剤で接着か。もう非常識すぎて、呆れしか浮かんでこない。
 一通り塞ぎ終わってから、サキツネは接着剤に蓋をして、それを引き出しに戻した。
 コップをひとつ手に取り、水道水を注ぐ。
 コップの中身を飲み干すが、今度は浸み出しはない。
「治療完了」
 どうやら、治療は終わったらしい。
 これを治療と呼べるのかは、はなはだ疑問なんだけど。傷口合わせて糸で縫い合わせて、首は糸で縫ってから接着剤。まるで、人形でも直しているような――治療と呼ぶよりも、修理と呼ぶべき行動。
 くー……。
 サキツネがお腹を押さえる。
「お兄さん。何かカロリー的なものを下さい」
「流しの下に賞味期限切れの上白糖があるから」
「らじゃ」
 流しの下を開け、サキツネは上白糖の袋を取り出した。赤と白のカラーでスプーンの印が描かれている。親戚から貰ったまま放置している砂糖一キログラム。料理をしていても、案外砂糖って使わないんだよね。
「これは、まさにカロリーの塊……」
 サキツネの黄色い目が光り、尻尾が跳ねる。口元から垂れる涎。
 サキツネは袋の口を切り、そのまま中身を口に放り込んだ。今さら砂糖袋一気食いについては驚くこともない。ばさばさと音を立てながら、白い粉が口の中に消えていく。
 一キロの砂糖が、苦もなくサキツネの腹に収まった。
「ごちそうさまでした。とっても甘かったです」
 空の袋をテーブルに置き、軽く一礼してくる。
 それで、サキツネの用事は済んだらしい。玄関に歩いて行き、いつの間にかあった革靴胃に足を通す。それから、ドアを開けた。
「このお礼は必ず」
 凛々しい表情で、そう宣言する。
 そして、サキツネは颯爽と俺のアパートを後にした。








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