狐の宿 1話

俺の実家はキャンプ・スキー等のレジャーで発展した田舎町で旅館を経営している。
で、俺はそこで働いている、俺の親父が引退したら長男である俺が家業を継ぐことに勝手に決定されていた。俺は嫌だったんだが、古くから家業は男が継ぐものだというカビの生えたならわしを重視した祖母さんが結局押し切っちまった。
そんな俺の悩みの種が、
ガラッ
今はこの部屋で布団にくるまって熟睡中。
朝の九時だってのに。
寝巻きに部屋に置いてある浴衣ではなく自前のジャージを着たこいつ。
名前をサキツネという、いつごろから来るようになったのかはよく覚えてないんだが、たまにうちに泊まりに来る。
服装は寝るときのジャージと、普段着の白と緑が基調のマニア御用達の品っぽいセーラー服プラス黒ニーソの二種類だけ、しかもいつも手ぶらにしか見えないのに、寝るときにはジャージ姿、謎だ。
これだけ見るとただの変わった女の子だが、こいつには狐耳としっぽが生えている。
いわゆる物の怪の類らしい。
もともと俺たちの家は祖先が狐の神様を嫁にもらって、その助けによって宿を作ったと言われていて、そのためイヌ科動物、とりわけ狐に対しては非常に歓待の意思が強い。
もちろん狐妖怪のこいつも家族のほとんどによって歓迎されてる。
唯一の例外が、俺。
「サキツネ起きろ、朝飯だ。以上。」
それだけ言って戸を閉める。
金を払わないし飯だって父さんたちが善意で与えてるだけだから、俺がこいつを客として扱うことはない、旅館の客でも、うちの客でもない。
せいぜいうちに餌をもらいに来る犬猫と同じ扱いで、妹よりひどく扱ってる自信がある。
頭をかきながら廊下を歩いていると、
「今日の献立は何ですか?」
背後にサキツネの気配。
戸の開く音は聞こえなかったけど驚かない、瞬間移動みたいなこと普通にするし、例え眠ってても食いもの関連の話をこいつが聞き逃すことはない。
「刺身の残りが色々、あと味噌汁と米と漬物。」
「ありがとうございます。」
瞳をキラキラさせて俺に一礼したと思ったら、音も立てずに行ってしまう。
それもいつの間に着替えたのか、ジャージからセーラー服に服が変わっていた。
見た目だけなら可愛い感じなんだがいつもの態度がひどいから俺はあいつが苦手だ。
たまに他の客の食い物盗んでトラブルになったりするし……
台所に勝手に入り込んで食いものとか大根のつまを全部食ってたことがある、その時は切れて窓から放り出したけど、いつの間にか空き部屋に入り込んでた。
俺の担当は調理場、家族従業員含めていちばん料理がうまいから俺は小さいころからここで働くときは基本的に料理を担当していた、愛想なくて接客に向かないのもあるけど。
食堂に行くと、サキツネがうれしそうに俺の用意した料理を貪っている。
レジャーシーズンの書き入れ時ならもっと忙しいけど、今はまだそんなシーズンには程遠いから客足はまばら、しかも朝の九時半なんてほとんどの客はここに居座ってない。
せいぜい近所の川で釣りをする変なおっさんが一人二人宿泊してるだけだ。
それもあって食堂はサキツネの貸し切り状態である。
「お兄さんは妹さんに比べて愛想ないけど料理は一流ですね、誇っていいですよ?」
嫌味なのか褒めてるのか分からないけどその言葉を俺はスルー。
昼食のための仕込みを開始する。
今日はいい野菜が入ったから野菜中心の献立になりそうだ。
俺のレパートリーの基本は高校時代のバイト先が料亭だった関係で和食。
下手な料理人より筋がいいからうちで働かないかと言われたんだが、やんわり断った。
「お兄さんはとても冷たいです。」
「俺は客でも何でもない無駄飯ぐらいに優しくできるほど人間出来てないんだよ。」
「残飯処理しています」
「食い漁ってるだけっていうんだよお前のは。」
うっすい胸そらして言うサキツネにすぐさま突っ込む。
こいつのは残飯処理って言わない、油断すれば残りものじゃないものまで我が物顔で食うおまけに例え残りものだとしても調理してない限り自分で調理して食うこともない。
料理ができるのかを知らない、というか俺がこいつについて知っていることは実はかなり少ない。
まずこいつのプライベートを俺は知らない。
尋ねてみても、
「そういやお前うちに来る以外はどこで生活してんだ?」
「秘密です。」
「まともな経済活動してるのか?」
「秘密です」
「うち以外にもこんな風にお世話になってるところがあるのか?」
「秘密です」
こう言う感じ。
正直言ってまともな答えが返ってくると思ってないから言ってみてるだけだけど、とりあえず返事はする辺り一応最低限の礼儀はわきまえているのかもしれない。
こいつに過去どんなことがあったのかも知らない。
どんなところで生まれたのか、どんなところで暮らしているのか、家族はいるのか。
尋ねてみて「秘密です」と答えられたような気もするし、そもそも聞いてもいない気もする。
「ごちそうさまでした」
サキツネが箸を置く音に振り向くと、既に俺が作った料理はすべて消えていた。
十分かかってないぞ? ちゃんと噛んで食べてるのか?
「お粗末さまと言っておく。」
動揺を隠してサキツネの食べた後の食器を手早く片付け、流しに持っていく。
「他には無いのですか?」
そう言いながらサキツネは食堂を縦断するように歩きだして、我が家のプライベートスペースまで足を踏み入れると妹の私物のお菓子が入っている戸棚に手をかけようとする。
台所は公私両方で利用しているため、こうやってお客がたまに入り込んで来るし、サキツネは両親に許されてるからと当たり前のように踏み込んできている。
というか、勝手に入るサキツネを真似てお客が踏みこんできたのがそもそもの始まりだった気がする。
「ちょっと待て! 渚の私物に手を出すな!」
思い出すのを中止して慌てて止める。
妹の渚。
隣町の高校に通う高校一年生で、俺とは九歳も年が離れている。
見た目はそれなりに可愛く、元気で明るい性格をしているから男子に人気があるんじゃないかと兄バカながら思っている。
ただし、守銭奴のきらいがあってその上自分のものに勝手に手を出されることを極端に嫌う傾向があり、そのためか所属している研究会以外には友人らしい友人はいない。
その渚の私物に手を出すのは、我が家ではタブー。
破ろうものなら凄く怖い思いをする。
それをサキツネがやった場合、当たられるのは俺。
無表情のまま怒りを目に浮かべ、淡々とひたすらに質問の形で責められ続けるくらいならまだ言葉ではっきり怒鳴ってくれた方が楽なんだ。
「少しあとに買い出しに行くから、その時一緒に来い。」
そう言ってサキツネを戸棚から引き剥がす、危ない、今こいつの目は渚お気に入りのケーキ屋さんのパウンドケーキに照準定めてやがった。
「何でも買っていいのですか?」
「予算千円だぞ?」
こいつに予算無制限と言ったら俺の財布が文字通り食いつぶされる。

食器を全部洗い終えると、両親に俺がいない間のことを任せてうちでよく利用している中型車両に乗り込み、サキツネを助手席に乗せる。
しっかりシートベルトをつけさせてから、発進。
正直俺の暮らしているところは田舎だ。
クソをつけるほどのもの凄い田舎という訳ではないが十分田舎くさくて、無駄に空気がうまくて無駄に土地が安くて無駄に交通の便が悪い。
不思議なことに一応町とか村ではなく市なのだが、田舎村ですと言われれば万人が首を縦に振ってしっかり納得してくれそうで嫌だ。
十分ほど走行して、やっと最寄りのスーパーにたどり着く。
車から降りると車と同程度のスピードでサキツネは走り去る。
人にぶつかったりしないか、ちょっと不安だ。
人には基本的に見えてないし、触れることも珍しいとは聞いた覚えがあるが、だからって俺にははっきり見えてるし触れることもできるんだから、不安ではある。
「俺が見えるのはやっぱり伝承が本当だからなのか?」
よく分からんものがぼんやり見えることがたまに俺にはある。
サキツネくらいはっきり見えることはあいつが初めてだったが、そのおかげなんだろうかあいつに会ったときもそんなに驚いた記憶はない。
妹はサキツネ以外全然見えないって言ってるし(本当は無視してるだけなのかもしれないけど)そういう訳の分からん力は俺の方がいくらか上っぽい、役に立たないけど。
とりあえず旅館の料理に使う野菜や魚をいつも通りケース単位で譲ってもらって(余ったのはサキツネの食い物や俺たちの夕食に変わるからある程度買いすぎても問題ない)先に軽トラに一度持って行ってからサキツネを探す。
見つけて数秒、他人のふりをするかどうかで悩んだ。
肉の試食コーナーでもしゃもしゃ肉を貪ってやがる。
しかも店員が何の文句も言ってないところを見ると都合よく俺以外の人間からは見えないようにしてやがるらしい。
俺に気付くとその動きを止める。
店員さんが「あれおかしいな?」って顔で明らかに減っちまった肉を眺めた瞬間、サキツネはその隣を悠然と通過してお菓子コーナーに移動する。
手招きされたので俺もそれに従い移動。
お菓子コーナーで買い物かご片手に数種類のお菓子を選ぶ、きっちり予算以内にしてある辺りはこいつの遠慮のようなものなんだろうか。
レジへ持って行こうとしたサキツネの顔を見て、あることに気付く。
「サキツネ、ソースがついてる。」
さっき全部食っちまった試食の肉にかかっていたソースだろう、口の端についたそれをサキツネはぺろりと舐めとる。
見とがめられると面倒だから気をつけてほしいもんだ、一応監督者だから俺にまで責任がよってくるんだし。
そうやってレジに行く、
あれ? 買い物かごの中身が増えてるぞ?
「千五百八十二円になりまーす。」
どうやらレジまで回すと戻してくるのを面倒くさがる俺の性格を利用したようだ。
どこに隠し持ってやがったんだ五百八十円分のお菓子を。


家に帰るとサキツネは嬉しそうにお菓子をがつがつと貪り、俺はその様子を見る気にもなれずに食堂の清掃をしていた。
貪る音が止んだのでとりあえず確認すると、お菓子はすべて空になっている、なんという早業。
「ではまた。」
サキツネは敬礼するように俺に向かって手を上げると、窓から飛び出そうとする。
「ちゃんと玄関から出ていけ。」
下に人がいたら俺がどんな思いで説明すると思ってやがる。
膨れた顔をしたサキツネはあとが面倒だからという理由でだろう俺の言うことに従い、しっかりと歩いて外に出て行く。
取り残されたお菓子のゴミを片づけている中に、渚のパウンドケーキのゴミを見つけた。
ああこれ、説教されんだろうな渚に。







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