狐の宿 2話

「ただいま帰りましたよーっと。」
元気よく玄関のドアを開いて帰ってきたのは妹の渚だった。
服装はサキツネのものとは違って上半身は胸部分に校章の入った白いポロシャツ、下半身はもみじ色のプリーツスカート。渚の通っている高校の夏服であり、そこそこ見た目もいいから人気ではあるらしい。
染めたわけではなくもともと色素の薄かった茶髪は肩の長さ、顔だちは高校一年にしてはやや幼く、元気な中学生のようにも見える。
珍しく学校帰りで上機嫌だということは、どうやら研究会でいいことがあったようだ。
「おかえりなさい。」
俺が出迎える前に出迎えたのはサキツネだった。
珍しく人を出迎えるということはこいつもこいつで少し上機嫌なのかもしれない。
「あれ、サキツネさん。」
渚が自分を出迎えたサキツネに向けて驚いた顔をする。
出迎えられたことにも驚いているしそれに何より、サキツネが自宅スペースにいるということが何よりの驚きなのだろう。
サキツネと渚が並ぶと、中学生が二人いるようにしか見えない。
「お兄さんに連れ込まれました。」
「へぇ?」
サキツネの誤解を招く発言とほぼ同時、渚が俺に向かって怒りの目を向ける。
客人を手籠めにしようとしたとでも勘違いしたんだろう、俺はどうやってもサキツネ相手にまともな戦闘じゃ三秒持たないのに。
「どっかの中学の修学旅行で宿が貸切られたんだよ、だから寝るところのないサキツネにはこっちに上がってもらってるんだ。」
「修学旅行でこんな辺鄙なところへ……ああ可哀そうに不景気の波はこんなところに……」
渚はまじめな顔でかなり家の人間としてよくないことを言った。
「辺鄙であるのは否定しないが、一応先祖のために撤回しておけ。」
辺鄙であるのは俺も承知の上だ、スキーとかキャンプなどに利用されることを考えればかなり辺鄙な、つまりよく言えば有りのままの自然が良く残されている場所にあるもんだと俺は思う。
「電車に乗れば都会は遠くないですし、悪い場所でもないと思いますよ私は。」
サキツネがフォローのつもりなのかそんなことを言ってくれる。
けど無駄、だってここ電車駅隣町に行かないとないんだもん。
「お前はどうやってここに来てるんだ?」
ふと気になったので聞いてみる。
気づけばいつも潜り込んでいるくらい神出鬼没だが、こいつが何を移動手段にしているのかはよくわかっていない、自動車と普通に同程度の速度を出せるあたり歩いてきたといわれてもそんなに不思議には思わないが、しかし通学している私立の中学生たちに交じって電車で来そうな気がしなくもない。セーラー服だし、さぞ似合うことだろう。
「今日は電車とバスを乗り継ぎましたが、時と場合により臨機応変に。公共交通機関は追われているときはできる限り使いませんね、足がつきますので。」
「追われるようなことをするな、というか具体的に過去に何をした?」
犯罪者をかくまっていた旨で俺達まで犯罪者の仲間入りをさせられたら困る。
前科者が経営してる旅館なんてよくない人しか来るようにならなさそうだ。
「食い逃げと、一番派手なので公共造営物の破壊ですね、いろいろあった結果現場になってしまった公園の遊具をほぼ壊滅状態に」
「二度と来るな、警察の聴取とか俺は御免だぞ。」
しかしそんな俺の発言に対して、
「お兄さん?」
渚が怒りの目を向けてきた。
しかし条理的に悪いのは俺じゃないだろう、こいつが犯罪者として旅館に来ることだけは避けなくてはいけないのは渚にとっても同じことのはずだ。
「俺は間違ったことを言ったつもりはない」
「若い女の子が犯罪を犯さなくてはいけない窮地に立っているならば、それを助けてあげるのが男ってものでしょう!」
「よくおっしゃいました。」
真面目な顔をしてふざけたことを言う渚に賛同する形でサキツネが首を縦に振る。
「若いって、サキツネ年いくつだ?」
妖怪なんだから見た目通りの年齢じゃないと思う、むしろ俺より年上でもそんなにおかしいとは思えない。何せ、思った通りに俺から目をそらしたから。
「乙女に年齢を聞くものではありませんよ。」
フォローのつもりか単純にそう思っただけなのか渚が言う。
こいつに乙女っていう表現が合うのかも微妙だ。
たぶん俺より上なんだろうな、何せ妖怪なんだから人間の常識がまともに通用するとは思えない、下手したら俺の両親よりも年上って可能性まであるんだから。しかし長々と考えてやるのもめんどくさいので、とりあえず気にしないことにして渚に目をやる。
「お前もお前で、サキツネに気を遣いすぎるなよ? 後悔するぞ?」
「安心してくださいよお兄さん、ヤバイと判断したら迷わず捨てますんで。」
にこやかにあっさり言ってのけた、まあこんな妹だから実のところあんまり心配もしてない、俺より危険察知能力と直感力はあると思う。
「そういえば妹さんは夏休みなのにどこへ?」
「部活ですよ、研究会の次の研究材料決める当番だったので。」
もともと金にならないことをあまり好まない渚が好んで通っているのだからそれなりに(渚にとっては)いい部活なんだろうが、しかし兄としてたまにこいつが部活の友人に迷惑をかけていやしないかと不安になったりするときもある。
「サキツネは学校とか通ってるのか?」
俺たちのところに来ている以外どんなところに行っているのかは全然知らないが、セーラー服を日常的に着ているのは学校があるからなのか本人の趣味なのか。
「秘密です。」
言うと思った。
通ってたって見た目は中学生ぐらいだから驚かないには驚かないが、しかしこいつの実年齢を知ったら驚くことはあるかもしれない、要するにわからなければ驚きようもない。
そもそも妖怪に学校があるのかというのも微妙なところだ、某日本一有名な妖怪の歌では「試験も何にもない」と言い切っていたわけだし、学校がなくてもうなずける。
考えてたって結論は出ないだろうから置いておくことにして、
「ところで渚、その手に持ってる袋はなんだ?」
出かけるときは持っていなかったはずの白い紙袋、中身はわからないが、食べ物の気配がするんだろうサキツネは尻尾をゆらゆら動かしてたまにチラチラ様子をうかがっている。
「帰りに学校近くの喫茶店で買ってきたケーキです、家族みんなで食べようと思っていたんですが、サキツネさんの分が足りませんね。」
渚が取り出したのはケーキ屋さんで使うような紙箱。それを開くと中には四つの洋菓子、レアチーズケーキにイチゴのタルトにモンブランにミルフィーユ、割と普通の四種だ。
「俺はいいからお前ら食え。」
なんとなくここで食ったら途中でサキツネに盗まれる気がしたからそう遠慮したふりをする、それに俺洋菓子ってそこまで好きなわけじゃないからな。
「では遠慮なくいただきます」
言われるのを待ってたと言わんばかりにサキツネはモンブランをとると、すぐさま皿に置き(うちにある皿じゃない。どこから出したんだろうか)マイフォークで食べ始めた。
「いただきます」
渚も皿とフォークを持ってくるとレアチーズケーキを食べ始めた、そういえば俺はこいつがチーズケーキ類以外を食うところを見た記憶がない。
イチゴのタルトも食べないしモンブランもミルフィーユも食べることはない。
好き嫌いの問題だとは思うんだが、俺にはよくわからない違いだった。
「ふと気になったんだが、お前はどうしてチーズケーキしか食べないんだ?」
「……よくわたしにもわかりませんね。」
渚は首を傾げながらそう答える、別段チーズが好きなわけじゃなかったはずだし、それにイチゴや栗が嫌いなわけじゃない、なのに必ずチーズケーキ。
「サキツネって好き嫌いはあるのか?」
「食べ物で言えば好きなものは食べられるもの、嫌いなものはふつう食べられないものと言ったところでしょうか、細かく分けるならより美味な方が好きということになります。あと趣味であちこちに珍味探しに行くことはありますね。」
要するに食い物の中では嫌いなものは存在しないが、美味ければ美味いほど好きってことか、ある意味わかりやすいがしかしその「美味い」の基準はどうなってるんだろうか。
「具体的にどんな珍味を最近は?」
質問したのは渚だった、確かにサキツネにとっての珍味とはなんなのかは俺も気になる。
人間の常識が通じないからもしかすると全く予想の突かないような奇天烈な品物かもしれないし、逆に意外と俺たちには身近なものかもしれない。
「一番最近と言えば……これですかね。」
胸ポケットからサキツネが取り出した写真には、黒い球体に目だけつけたような何かを嬉しそうに食んでいるサキツネの映像が映っていた。
いや、なんねこれ。
珍味とかそういう以前の話じゃないか? これもう食い物じゃないだろ絶対。
「食い食われ、数回足の骨を折る悪戦苦闘の果てについに食した貴重な食材です。」
薄い胸を張ってサキツネが自慢げに言う、だが一応いうがこれは食い物じゃない。
食い物と俺は絶対に認めない、これは化け物だ。
そしてそんなものを当然のように食い物とみなすこいつもやはり化け物だ。
しかしこいつが嬉しそうに語るってことは実はうまいのかもしれん。
どこが可食部でどこが不可食部なのかもちっともわからんが。
いや、もしかしたらこれはジョークなのか? 合成映像なのか?
そんなことを漠然と考えながら俺たちが一様に黙って写真を凝視していると、サキツネはやっぱりやる気の感じられない半眼のままの顔で、
「今度狩りに行くときにお兄さんを連れて行ってあげましょう、百聞は一食にしかずですので。」
これを狩に行くのに俺を連れて行く? しかも俺がこれを食うこと前提?
ちょっとまてお前は俺をどうするつもりだ?
「調理役がいたほうが……私もやる気が出ますので。」
これを俺に料理しろと申すか。
こんな得体のしれない、食い物とすら俺が認められないような珍奇の塊を俺に調理せよと言うのかこいつは、一体どうしたいんだ俺と「これ」を。
「ではまた。」
俺がどれから突っ込むべきかと迷っていると、サキツネは俺の言葉も聞かずに家を出ていった。
はたして、この写真の生き物(?)本当に食えるんだろうか。







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