窓から差し込んでくる心地よい日の光。 畳に寝転がったまま、全身で日の光を浴びる。気温適温、湿度低め、天気晴れ。年に何度も無い、実に心地よい陽気だ。仕事も片付けたし、早急にするべき事も無い。今日は何も考えずぐったり休息を貪れる。 「お兄さん」 聞き覚えのある声とともに、ふすまが開いた。 見慣れたキツネの女の子である。身長百五十センチくらいで、痩せた身体に緑色のセーラー服とスカートを着込み、黒いオーバーニーソックスを穿いていた。見た目は中学生くらいだろうか。癖の付いた狐色の髪の毛を背中半ばまで伸ばしている。先端の黒い狐耳。腰の後ろでは尻尾が揺れていた。 思考の読めない黄色い瞳で俺を見下ろしている。 謎の狐少女サキツネ。 「何か食べるものはありませんか?」 表情を変えぬまま、至極当然とばかりにそんな問いを投げかけてきた。無断で俺のアパートに侵入しては、冷蔵庫や菓子を漁ったりしている。基本的に残り物とか賞味期限きれしか食べないし、基本的に無害だから放置してるけど。 寝転がったまま、俺は目を向けた。 「今日はなんもないぞ」 「むぅ」 唇を曲げるサキツネ。 尻尾を垂らし、緩く両腕を組む。 「いつも碌なものがないけど、今日はひときわ何にも無い……。冷蔵庫が空っぽです。スッカラカンです。食べるものはおろか、氷すらない。消臭剤しか無い」 「午前中に片付けたから」 寝ころんだまま、俺は言った。 冷蔵庫の中身の賞味期限切れたりしていたものは、朝の内にまとめてゴミに出してしまった。放っておくと変なものが溜まっていくし。氷も全部捨てて、現在製氷中。冷蔵庫内に残っているのは、消臭剤のみ。食べられるものは、無し。 「消臭剤食べるなよ」 「……さすがに、食べない」 一拍の間をおいてから、否定する。 尻尾を垂らし、目を逸らしながら。 放っておいたら食べていたんだろうか? ――食べてたかもしれないし、食べられるんだろう。でもさすがに消臭剤は腹壊すような気がするけど、大丈夫かな? 普通は大丈夫じゃないけど、人間じゃないし大丈夫じゃなかろうか? ふと見ると、サキツネの姿が消えていた。 数秒ほどして、戻ってくる。尻尾を左右に動かしながら、心持ち眼を輝かせていた。 「流し台の下を漁ってみたところ、醤油が一本」 「それ、新品だから飲むなよ」 「むう」 俺の指摘に唇を曲げる。 こないだ買い込んだ醤油一リットル。賞味期限切れだったり間近だったなら飲ませてもいいけど、新品をくれてやる気は無い。そもそも醤油はジュースのような飲み物ではないしな。普通の人間が一気のみしたら身体に悪いけど。 狐耳の縁を指で掻いてから、サキツネが部屋に入ってくる。 「退屈……」 ぼそりと呟いて、畳の上に倒れ込んだ。 黄色い癖っ毛と尻尾が、一拍遅れてサキツネの身体を追う。 畳にうつ伏せに寝ころんだサキツネ。両手両足を伸ばしていた。背中に日の光を受け、心地よさそうに目を細めている。 そういえば、サキツネはよくこの部屋で寝てたっけな。 「くぁーぁ……」 全身で伸びをしながら欠伸をしている。 その越の辺りから伸びている尻尾。先端が茶色で残りが狐色の、いわゆる狐の尻尾だ。スカートの上から伸びている。先端がちょこちょこと動いていた。 「なあ」 寝転がった態勢から、俺は身体を起こした。両膝を折り曲げ、あぐらをかく。 「何でしょう?」 狐耳を動かし、サキツネが仰向けのまま顔だけ向けてきた。 なんとも感情の読めない、暇そうな顔である。この狐っ娘は俺の知る限り、喜怒哀楽をあまり表に出さない。怒るといきなり拳やら蹴りやらが飛んでくるけど。 俺は右手を持ち上げ、サキツネの腰辺りから伸びる尻尾を指差した。 「尻尾触らせてくんね?」 訊く。 瞬きするサキツネ。尻尾が疑問符のように曲がる。 ぶっちゃけ、前々から触ってみたかった。何度か触っているといえば触ってるけど、じっくりと触ったことはないからな。もふったら気持ちよさそうだし。セクハラスレスレ、というか普通にセクハラな事を口にしている自覚はある……。 考え込むように黄色い眼を動かしてから、小さく首を動かした。 「ん……。許可します」 「サンクス」 礼を言ってサキツネに近付く。 ゆらゆらと左右に動いている尻尾。微かに赤みがかった黄色い毛に覆われていて、先端は黒い。いわゆる狐の尻尾である。スカートには尻尾穴が開けられているらしい。下に穿いているパンツにも、尻尾穴が空いているんだろう。 考察はさておき、俺はそっと手を伸ばしてサキツネの尻尾に触る。 「………」 サキツネの動きが一瞬止まった。 ぴたりと尻尾の動きも止まる。 手に伝わってくる、尻尾の手触り。サキツネの髪の毛は癖っ毛だけど、尻尾の毛はそれほどでもない。もこもことしたやや硬めの毛の集まり。 「おお、すげー」 尻尾を触りながら、俺は素直に感心する。 手の平から腕を通り背中まで駆け抜けていく、心地よい痺れ。遠慮無く、尻尾を撫で、握り、指で梳き、やさしく指を絡ませる。思わず口元ににへらとした笑みが浮かんだ。 この感触は、結構癖になりそうだな。うん。 「ぅ……」 畳に顔を伏せたまま、サキツネが固まっている。口をきつく閉じて、声を押し殺している。広げていた両手を握り締め、時折肩を小さく震わせていた。 「ぅくッ!」 どうもくすぐったいっぽい。猫や犬にとっては尻尾は敏感な部分である。骨格的には背骨に繋がってるようだし。だからこそ他人に触られるのを嫌がる。そこを考えると、俺ってそれなりに信用されてるってことかな? だが、遠慮はしないッ! 鼻の穴を広げながら、俺はサキツネの尻尾にもふもふと手を這わせる。ちょっと人に見せられない顔してる自覚あるけど、問題ない。手付きも微妙に卑猥であるが気にしない。許可は貰ってあるからな! 「ふむふむ」 長い毛の奥に指を差し込むと、尻尾の芯がある。毛は芯を中心にして、少し後ろ向きに生えているらしい。毛に逆らうように手を動かすと、淡い反発が手の平に伝わってくる。尻尾の先端から根元に向かって撫でると、痺れるような快感に背筋が震えた。 うー。癖になるぜ。 サキツネはうつ伏せのまま固まっている。 「ッ……」 時折、喉から微かな息が漏れていた。 頬の辺りが赤くなってるけど、もしかして感じてる? 性的な意味で。 「ん?」 もふもふと尻尾を触りながら、俺はふと眼を留める。 サキツネの頭から生えた二本の狐耳。尻尾や髪の毛と同じ、微かに赤みを帯びた黄色い毛で覆われた三角形の耳。先端は白い毛が生えている。いわゆる狐耳。そういえば、サキツネの"耳"の部分がどうなってるか、まだ知らないな。 俺は右手を伸ばして、そっと狐耳を摘んだ。 「ィぅッ――!」 その瞬間、サキツネの身体が大きく跳ねる。電気ショックでも受けたみたいに派手に。喉から擦れた悲鳴がこぼれた。これは予想外の反応。髪の毛が逆立ち、尻尾の毛が爆ぜるように膨らむ。 マズいかも…… 俺はすぐに、サキツネの尻尾から手を放した。 そして、サキツネが立った。 両手を畳に突き、下半身を跳ね上げる。いわゆる逆立ちの態勢だった。黒いオーバーニーソックスに包まれた両足が天井に向く。ふわりと翻るスカート。癖の付いた狐色の髪の毛が左右に広がるのが見えた。 「え……?」 眼を点にして硬直する。 逆立ちの態勢から、逆袈裟懸けに振下ろされるサキツネの右足。アクロバティックなその動きは、斬りかかってくる刀を思わせた。細く痩せた体躯とは裏腹に、異様に高い身体能力をもって、俺の頭めがけて足が振り抜かれる。 ほんの一秒程度の出来事。 「あ……」 やっちゃった……。 上下逆さまのサキツネの顔には、無責任にもそんな言葉が浮かんでいた。 ゴッ。 どこか遠くでそんな音が響き。 俺の意識はどこかへと放り出された。 |