第27話 山の幸 中編

 飛影と名乗った少年。ヒエイではなく、トビカゲらしい。
 趣味で山岳訓練をして、山菜を料理する予定と言っている。
「このあたりだと、木の実かキノコでしょうか? 食べられそうなものは」
 見た目は十歳くらいだが、妙に老成して見える。人間ではないらしい。跳ねた黒髪を首の後ろで布で縛り、黒い着物と黒い袴という恰好だ。足にはブーツを穿いている。肩からカラスの羽のような飾りが伸びていた。全身が黒い。
「山芋や百合根も見つかるといいですね」
 緩やかな傾斜とそれなりに平らな地面。生えている木は落葉樹が多いが、針葉樹も混じっている。平地よりも気温が低いせいか、葉は半分ほど枯れている。空は青く晴れ、空気は少し肌寒い。
 しかし、サキツネの身体は熱かった。主に疲労のせいで。
「ちょっと重い……」
 こっそり愚痴る。両肩から三リットルの折畳式水容器をふたつ下げながら、飛影の後ろを歩いていた。合計六キロ。水場で汲んできた湧き水である。飯代ということで荷物持ちとして働かされていた。
 体力はあるが、重いものは重い。
「あ」
 飛影が足を止め、頭上の木を見上げた。
「あれは、アケビですね」
「アケビ?」
 サキツネは額に手をかざし、視線を追った。
 枝から生える黄色みがかった木の葉。その隙間から紫色の実が顔を覗かせている。地面からの高さは七、八メートルくらい。大きさは茄子くらいだろうか。
 空腹を思い出し、ごくりと喉を鳴らす。
「ちょっとこれ見張ってて下さい。取ってきます」
 飛影が背負っていたリュックを下ろした。
 やや斜めに向かって伸びる木の幹にしがみつく。直径は三十センチくらいだろう。かぎ爪のように曲げた指を木の幹に引っかけ、身体を持ち上げていた。猿を思わせるような俊敏さ。見る間に気を登っていく。
「おお。凄い」
 リュックの横に水容器を下ろし、サキツネは素直に感心していた。
 幹を登り、アケビの実が絡まった枝へとたどり着く飛影。両手両足で木にしがみついてアケビを見据える姿は、獲物を狙う猫のようだった。
 飛影は腰に差していたクナイを抜いた。
「サキツネさん、落としますよ。受け止めて下さい」
「了解」
 サキツネは右手を挙げて返事をした。
 飛影が蔓を切り、アケビの実が落ちてくる。実のなっている手前を切ったらしい。蔓で繋がった四個の実が一緒に落ちてくる。
 サキツネはその真下に移動し、両腕を持ち上げた。
「キャッチ」
 腕に掛かる軽い衝撃。
 サキツネは受け止めたアケビの実を観察した。狐耳を立てて、尻尾を動かしながら。
「ふむ、ふむ。微妙に卑猥……」
 もこっとした形の紫色の実である。縦に裂け目が走って、白い中身が見えていた。そこから、甘い香りが漂っている。サキツネも知識としてはアケビを知っている。しかし、こうして手にとってみるのは初めてだろう。
 振り向くと、飛影が木を下りているところだった。
「これは、ここで食べていい?」
「どうぞ。食べられるのは、中の果肉部分だけですよ。種を食べるとお腹壊すことありますから、食べないで下さい。皮は調理できるから――うーん、どうしましょう」
 腕組みをして首を傾げている。
 サキツネはその場に屈みナイフを取り出した。一度アケビを地面に置き、実のひとつを切り取る。ナイフは一度しまう。
「いただきます」
 サキツネは裂け目に指を突っ込み、白い果肉を引っ張り出した。種が集まったものを、白いゼリー状の粘膜が覆っている。サキツネは種ごと果肉を口に放り込んだ。
 咥内に広がる甘酸っぱい味。
「美味しい……」
 果肉の味を楽しみながら、種の歯応えも一緒に楽しむ。種は食べるなと言われたが、食べられるので問題はないだろう。甘味に加わる、種の渋み。サキツネは果肉と種を全て飲み込み、続いて皮にかじりつく。
 ぼりぼりと硬い感触。茄子をそのまま食べたらこんな感じだろう。
 そう納得しながら、アケビひとつを完食する。
「ごちそうさまでした」
「よく食べられますね……」
 あけびを回収しながら、飛影が驚きの表情を見せる。
「我が口に食えぬものなし」
 サキツネは自分の口を示し、断言した。
 飛影は吐息して、アケビを差し出してきた。
「お腹が空いているなら、全部食べていいですよ」
「ありがとう」
 礼を言って、サキツネはアケビを受け取った。



「キノコ発見」
 サキツネは声を上げた。
 木の根元から生えている大きなキノコ。白い茎に真っ赤な笠。笠の表面には白い粒がついている高さは十センチほどで、笠の直径も同じくらいだろう。見るからに毒々しいキノコだった。それがふたつ並んで生えている。
 道から十メートルほど逸れた松の木の根元だった。
 やって来た飛影がキノコを見つめ、頭を掻く。
「これは、ベニテングダケ。代表的な毒キノコですよ。食べられません。食べたら吐いたり下したり幻覚見たり、大変らしいですよ。死ぬ事もあるらしいです。というか、これ毒キノコって分かって言ってますよね?」
 ジト眼の飛影に、サキツネは眉を内側に傾けた。
「どこかの地方で食べていたような記憶がある」
 人差し指を持ち上げ、尻尾を左右に揺らしながら答える。ベニテングダケは食べられるらしい。どこかでそんな話を聞いた記憶がある。
 小動物の鳴き声が遠くから聞こえた。
 キノコの図鑑を眺めながら、飛影が曖昧に頷く。
「塩漬けで毒抜きすれば食べられるそうです。毒性分であるイボテン酸は強い旨味成分らしいですね。美味しいというのは事実でしょうけど、毒は毒です」
「ほう……」
 狐耳を持ち上げ、目を細める。食べられるらしい。しかも美味しいらしい。毒が入っていることは問題だが、見逃すのは惜しいかもしれない。
 図鑑を閉じ、飛影が呻いた。
「あくまでも食べる気なら、夕食は食べさせませんよ」
「無念……」
 サキツネは尻尾を下ろした。



「キノコ発見」
 サキツネは声を上げた。
 木の幹から生えた薄茶色のキノコ。倒れた枯れ木から数十個の連なって生え、薄茶色の笠を広げている。ひとつは手の平に収まるくらいの大きさだった。普通のキノコと呼べるような外見である。もっとも見た目が地味だからといって無毒とは限らない。
 飛影はキノコ図鑑を眺めてから、
「えっと、あ。エノキダケですね。食べられますよ」
「エノキダケというのは、あのひょろひょろ?」
 手を上下に動かし尋ねるサキツネ。
 聞き間違いかとも思った。エノキダケ。白くて細長いキノコだ。鍋物に入れたりする。一目見ればそう分かる外見で、さっぱりして美味しい。しかし、ここにあるキノコは、それとは似ても似つかぬ見た目だった。
「あれはモヤシ状に栽培したものですよ。野生のエノキタケは、こういう風に普通のキノコになって生えます。キノコ汁用に取っていきましょう」
 飛影が図鑑を見せてくる。茶色いキノコにエノキダケと書かれていた。
「らじゃ」
 サキツネは敬礼を返し、ナイフを取り出す。


 ざくざくざく。
 折り畳スコップで地面を掘る。地面には縦長の穴が掘られていた。
 山道から少し離れた斜面を、サキツネと飛影で交互に掘っている。
 穴の横の地面から、蔓が横の木に絡まりながら生えていた。山芋らしい。細いハートのような葉が緑から黄色に色づき始めている。蔓は長くかなり遠くまで伸びているようだ。蔓の先端がどこかは分からない。今は先端よりも根元の方が重要である。
 本来は大きなノミのような道具を使うのだが、それが無いため普通に掘っている。
「どれくらいかかる?」
「わかりません」
 サキツネの問いに飛影は楽しそうに笑った。




「それでは、ここに簡単な野営地を作ります」
 目的の河原に辿り着いた。
 周りの地面から一段下がった所を流れる小川。川幅はそれなりに広いだろう。流れは速いが、荒くはない。曲がった内側に石や砂の溜まった河原ができていた。
 河原と岸の間に荷物と収穫が置かれている。キノコに山芋、百合根、くるみ、栗。十分な量だろう。秋という季節のためか野草類は少ない。
 周囲を眺める飛影に、サキツネは尋ねた。
「ここから何をすればいい?」
「魚取れます?」
 飛影が釣りの仕草を見せる。
 サキツネは親指を立てて頷いた。
「じゃ、適当に魚釣っておいて下さい。釣り竿はありますから、これ使って下さいね。釣れなかったら釣れなかったで何とかあるもので料理します」
 飛影が荷物へと向かう。
「魚釣ってる間に、オレは焚き火や料理の準備しますので、じっくり行きましょう」
「了解」
 サキツネは背中の武器庫に手を入れた。
 そして、取り出される細長い銃。六十センチほどの銃身にグリップを取り付けた単純な構造で、銛が一本装填されている。強力なゴムの力で銛を撃ち出す水中銃だ。スキューバダイビングなどで魚を捕るための道具である。海で使うものだが、川魚も捕れるだろう。
 安全装置を外す小さな音に、飛影が振り向いた。
「……またそんなものを」
 サキツネの抱えた水中銃を見つめ、肩を落とす。
「どこから持ち出したんですか……?」
「乙女の秘密」
 人差し指を口の前に立て、サキツネは片目を瞑った。







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