ヴァレンタインデー


帰宅すると、家の玄関先にはミイラが転がっていた。
それがサキツネだと気づくまでにおよそ二秒かかった、気づいたきっかけは狐耳と制服。それにもふもふの狐の尻尾。
「119番通報か?」
十秒ほど考えてから俺がそう結論をだし、携帯をポケットから取り出そうとすると、サキツネの指がゆっくり動いていることに気が付いた、力なく地面を指が這い、字を描いていく。
十秒ほど待ってようやく全容を現したその内容は
「ごはんください」
だった。
とりあえず庭からホースを引っ張ってきて、サキツネに向けて放水。
数秒たっぷり水をぶっかけてから、反応がないのでとりあえず要求を呑んでやることにして家の中に入っていく。
鰻重のためだけに用意された重箱いっぱいにこれでもかと米を詰め込んでやり、それと冷蔵庫にしまってあった茶を取り出して持っていく、たぶん食い尽くされるんだろうな、これぐらいの量なら割とあっさり。
持って戻っていくと、米の匂いに反応したらしくサキツネが顔を上げたが
「怖すぎるぞその顔」
その目はまさに獲物を狙う狩人、口からは涎を垂らし、まるでというかまさに狂獣。
これ、接近したら物理的に食われるんじゃないか?
どこぞの魔女みたいに中から何か出てきて頭をボリボリ齧られそうでとても怖い。
数秒考えてから、重箱とペットボトルをそっと地面に置き、すぐさま距離を取る。
「食っていいぞ。」
俺のその言葉を待っていたかのように口が「いただきます」と言い、跳ねるようにサキツネが重箱に飛びかかると獣のようにがつがつと食い散らし、五秒後には重箱いっぱいのコメがサキツネの腹の中に消滅した。
そして次の瞬間喉に詰まらせたらしく脇に置いてあったペットボトルのキャップを開けずに破壊すると中身を喉に流し込む、いつもながら理性ある生物の行動ではない。
「ご馳走様でした。」
「そいつはどうも、お前はなんでこんなところで干上がってたんだ?」
「お腹が空いたから食べ物を分けてもらおうとこの宿に来たら『本日休業』の表札があり、だがフリーターのお兄さんなら家にいるだろうと思って玄関でインターホンを押したら誰も出ず。」
「そのうち帰ってくると思ってたら、誰も帰ってこないまま力尽きたんだな?」
両親は何を思ったか旅行に行っており、渚は学校、俺は大学時代の友人と遊びに行っており朝から留守だった。だからこいつは締め出されたままあそこで干からびざるを得なかったんだろう。コンビニで何か買って食えばいいものを。
「お兄さんは悪魔ですね、ホワイトデーのお返しが放水なんて礼儀を欠くにもほどがあります、慰謝料としてご飯たくさん下さい。」
さっき重箱いっぱいのご飯をくれてやったんだが、そんなもんじゃ足りんかったらしい。
「ああ、そう言えば今日はホワイトデーか。」
渚にすらここ二・三年はもらえてないので、完全にリア充爆発しろデイに成り下がってたが、そう言えば今年はこいつに(三倍返しを目的に)チョコを貰ったんだ。
「覚えてなかったんですか?」
「当たり前だ。」
ごぎっ
返答の瞬間、目にもとまらぬ速さでサキツネがドロップキックをぶちかましてきた。
チラっと白いパンツが見えたのは役得の気がしないでもないが首から上がポンとどっかに飛んでいきそうな激痛にその考えは撤回させられる。
軽く数メートル吹っ飛んで生えていた太い木に叩きつけられ、ずるずると落ちる。
「では今からご飯たくさんおごってください、それで許します。」
今の蹴りはどんな意味があったんだ。


車で十分ちょっとのところに、天丼ギガ盛を普通に注文できる丼屋がある。
そこそこ高いだけあって味もよく、サキツネもきっと文句は言わないだろう。
問題があるなら渚とか、それ以上に面倒なやつに出くわす危険がある程度だが、あまり気にしても仕方がないのでとりあえず車でサキツネをその店まで運んできた。
「今日は。」
店のドアを開き中に入ると、誰もいない店内が目に付く。
平日の真昼間からここに来るやつなんてそうそう居ないか。
俺は一応常連、大盛りぐらいしか食わないからメガすら目の前に来たことはない。
それでも顔は覚えてるみたいだし、俺が来ると店で一番若い店員は
「天丼のギガ盛を一杯と、並盛一杯。」
「はいまいどあり〜 待ってくれよ〜」
「テラ盛はないんですか? エクサ盛でもいいですが。」
ペタが抜けたな、まぁどっちにしろどれだけ食うつもりなんだこいつは。
「一見さんが注文できるのはギガで最高だ、テラ盛とペタ盛はそれぞれギガ・テラを完食してカード貰ってないと作ってもらえないから大人しく待ってろ。」
「はい、ではギガを完食してからテラに移ります。」
自信満々だなこいつ。
「お待たせしました。」
十分ほどして運ばれてきたのはかなりでかめの丼いっぱいの米にでかい精進揚げやらでかいエビ天やらとにかくでかい具材をこれでもかと乗せたでかい丼だった。
ちなみに、重量2キロ、俺からしたらこの上にさらに二種類の天丼があるとか想像もできない。噂では、六人がかりでペタ盛に完敗した高校生の集団もいるらしい。
「この程度か……」
眠そうなジト目に僅かにだけ失望の色をうかがわせ、サキツネが箸を手に取る。
「いただきます」
厳かにそう言ったサキツネの箸が、天丼(ギガ盛)へと伸びる。


「ご馳走様でした、次、テラ盛お願いします。」
事の次第を見守っていた店長が、見た目はむしろ痩せた中学生くらいの女の子にあっさりギガ盛を完食されて呆気にとられているのを全く気にせず、サキツネは追加注文をした。
注文を受けた店員があわててキッチンに戻っていく。
そして、注文を伝え終えた店員が何かを取って戻ってくる。
「ええっとこれが、ギガ盛完食認定カードになります。」
「はいどうも。」
持って来られた赤いカードを受け取り、制服の胸ポケットにしまうサキツネ。あれだけの量を食ったのに、体型に全く変化は見られない。どこに入ってるんだ、この体にあの量が。
そこからさらに十五分後。
持って来られたテラ盛は、当たり前ながらギガ盛以上のでかさだった。
器のサイズはもはや丼ではなく、家族で鍋パーティするとき使う鍋のようなビッグサイズ。
米の量は俺の目算でギガ盛の三倍近くあるだろう。もしかしたら俺の見積もり違いなのかもしれないが、平凡な一家が一日に食べる分くらいありそうだ。
上に載ってる天ぷらだが、かき揚、茄子、薩摩芋、蓮根、椎茸、大葉。で、問題はエビ天だ、川の字に並んだ三つのうち真ん中に陣取ったエビ天だが、明らかにでかすぎる。
普通のエビじゃない、これはおそらく、伊勢海老だ。
「普通揚げねーだろ伊勢海老……つーかお値段おいくらだよ……」
「こちら伝票になります。」
店員さんが持ってきてくださった伝票に記されたお値段は「一食でこのお値段かよ、サキツネはいつも食費をどこで稼いでるんだ。」と思わせるに足るものだったとだけ言わせていただく。
ホワイトデーの痛すぎる出費に、俺は頭を抱えることになったのだった。







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